地域の中に入って、いろんな仕事に向き合っていると、その一つひとつの出来事は、すぐに大きな成果やわかりやすい価値として表れるものではなく、日々の生活の中に見過ごしてしまいそうなものに感じられることがある。
同級生や友人が、大きな企業の中で、大きな仕事を任されている話を聞くと、なおさらそう思う。
自分はこの地域で、何か社会に残るようなものをつくれているのだろうか。
そんなふうに不安になる時、思い出すようにしている言葉がある。
「生活に力強さがあってこそ、豊かなデザイン・建築は生まれる」
大学時代の恩師である、菊地成朋先生の言葉である。
具体的にどんな授業で、どんな文脈で聞いたのかは、はっきりと覚えていない。
今の僕に都合のいいように解釈してしまっているところもあるかもしれない。
それでも、この言葉はずっと心に残っている。
そして、自分が何をしているのかわからなくなった時に、何度も立ち返る言葉になっている。
では、ここでいう「力強い生活」とは何なのだろうか。
僕は、力強い生活とは、
「他者や環境との折衝の中で、自分の輪郭を何度も引き直している状態」
なのではないかと感じている。
実際にあった出来事をもとに考えてみたい。
庭の木が隣家の方へ伸びて、「邪魔になっている」と言われたことがある。
その時、「自分の土地に生えている木だから関係ない」と突っぱねることもできる。
反対に、迷惑をかけたくないからと、木をすべて切ってしまうこともできる。
けれど、生活の中で本当に起きているのは、そのどちらでもない。
枝がどこまで伸びているのか。
相手は何に困っているのか。
自分はその木の何を大切にしているのか。
どこまで切れば相手の暮らしを妨げず、どこまで残せば自分の生活や風景を保てるのか。
そうしたやり取りの中で、自分と他者との境界を探っていく。
ここで大切なのは、境界は最初から固定されているものではない、ということだ。
もちろん、所有権や敷地境界線はある。
法律上の線も、図面上の線もある。
しかし、実際の生活はそんなに単純ではない。
枝は伸びる。
落ち葉は飛ぶ。
影は落ちる。
生活は、常に自分の領域を越えて、他者と関わってしまう。
だからこそ、他者との関係の中で、
ここは譲れる。
ここは守りたい。
ここは調整できる。
そうやって何度も境界を引き直すことで、少しずつ自分の輪郭が見えてくる。
生活に必要なのは、他者や環境との関係の中で、境界を一度で決め切らず、何度も引き直し続ける根気強さなのだと思う。
その根気強さこそが、生活の力強さなのではないか。
そして、それは決して小さなことではない。
一見すると、庭木の剪定や近所とのやり取りは、社会に残るような大きな仕事には見えないかもしれない。
けれど、そうした具体的な出来事に真摯に向き合い続けることでしか、見えてこないものがある。
人はどこで困るのか。
何を大切にしているのか。
どこに譲れなさがあるのか。
どこに調整の余地があるのか。
そうした生活の中の気づきや違和感、折衝の中にこそ、デザインのきっかけがあるのだと思う。
力強い生活の中で感じたことを、考え方に落とし込む。
考え方を、デザインに落とし込む。
そして、そのデザインがまた新たな生活をつくっていく。
地域の仕事とは、きっとその繰り返しなのだと思う。
地域の生活にある小さな気づきや違和感、折衝にこそ可能性がある。
だから、いま目の前にある小さな出来事を、意味のあるものとして受け止めていたい。
その一つひとつは、大きな仕事には見えないかもしれない。
けれど、そうした生活の折衝の中に、自分の輪郭も、地域の輪郭も、これからつくるべきデザインの輪郭も表れてくるのだと思う。
地域で働くということは、大きな物語で多くの人を動かすことではなく、生活の中で、何度も境界を引き直しながら、少しずつ形を与えていくことなのかもしれない。
だから僕は、人生をかけて生活をしようと思う。